The V E I L E D
Lutheranism is a word-based faith, and my family comes from the movement of German Lutheran immigrants to Pennsylvania during the 1800’s. The home I was raised in displayed no icons nor photographs, which negates the face of religion and all that remains is invisibility. This work represents the Philosophies of concealment, Lutheranism and my perspectives on female and male views in society as the pages of my story.
From the corner separated from the wall, a wooden rectangular frame with a felt-covered mat-board is hung. A space is created behind the unconnected frame, as if the thought represented somehow extends not only forward but also backward as well. Sitting inside the frame holds Albrecht Durer’s “Adam and Eve” painting cut, separated and printed out on regular xerox paper; they are mounted on slightly individualized ceramic frames where the Eve is less visible than Adam. Although printed in the cheapest and easiest way possible, it does not deplete any value from their significance. Held at the center of the frame and protruding out are two ultra-thin layered ceramic representatives of God and his son. While the extensional length of these two pieces is noticeable, the hollowing of the inside extends the view into a void, almost as if linked with the space from the backside.
The frame looks out upon a vast view as the altar table stands in front. Located on each side of the primitive-like altar table (taken from the style of German wood work in Pennsylvania) are the thin stacked ceramic pages with scattered broken words that appear to have departed from the sheets. An opening at the center of the altar makes it possible to have a slim observation of the intimate internal. Felt is used to line the fragmented ceramic strips of the past, as if to keep them and hold them with silence. The opening from the top of the altar extends through the inside with two sliding pieces of wood that reveals the underside glass. Like hearing a pin drop, what has fallen is a single word “sinner”.
[中文]
基督教的「路德教派」是基督教諸多派別裡,以語言為核心的信仰。我的家族是在1800年代移民至(美國)賓夕法尼亞州,屬於德國路德教派的體系血統。然而在我成長的家中,並沒有裝飾任何與信仰有關的符號和照片,因此與其稱作信仰對我而言,路德教派才擁有的「不可視性」則存留在我的內心。這件作品象徵著隱匿哲學,我以我的故事來表現對路德教派思想以及在社會上對女性觀和男性觀的看法。
作品從距離牆面的部分解說。懸掛的木製長方形畫框,裱版是用毛氈來覆蓋而成。畫框後方未接合所創造出的空間,其涵義是要表達並非只有前方述說的事情,後方的空間仍有無限延伸的想像空間與意義。畫框的中間是使用藝術家_阿爾布雷希特·杜勒的「亞當與夏娃」畫。我用常見的複寫紙複印畫面並將它分割開來,再各別以陶製相框安裝進去。整體讓夏娃看起來比亞當較為不明顯。(這是表現我對社會上女性觀與男性觀的視角詮釋。)
雖然我使用最便宜的方式來印刷圖像畫面,但這並不減損它們原有的任何價值。畫框的正中央,有兩個以超薄的陶瓷層層堆疊維持凸狀的物件,分別代表上帝和他的兒子。造型的高度相當明顯,因此從內側的鏤空處望進,視野會延伸進空隙中,讓人產生幾乎像是和後方的空間相連下去感覺。
其次,畫框正前方的空間放置著一張祭壇桌。這件早期的祭壇桌是來自(美國)賓夕法尼亞州裡德國製的木工品風格。祭壇桌的桌面兩側堆疊著透薄的陶製紙張,以及噴散破碎的陶製文字。中央的開口處可以從內部進行細微的觀察。象徵「過往」的陶製碎片被排列鋪在毛氈的上方,這就好像是毛氈靜謐地包裹著那些碎片。而穿透祭壇桌最上方的開口內部,可看見兩層木頭層板的下方舖著一片玻璃。玻璃上方掉落的陶製文字,宛若能聽見落針的聲音,這掉落的文字則寫著「罪人」一詞。
[日本語]
キリスト教ルター派(ルーテル教会)は、キリスト教諸宗派の中でも特に言葉を中心とした信仰です。私の家族は、1800年代にペンシルバニア州に移住したドイツ・ルター派の人々の家系です。 それゆえ、私が育った家には信仰に関するアイコンも写真も飾られておらず、宗教というよりはルター派の持つ「不可視性(invisibility)」のみが私の心に残っています。 この作品は、隠すことの哲学、ルーテル派の思想、そして社会における女性観と男性観に対する私の視点を、私の物語の一ページとして表現しています。
壁から離れたコーナーから、フェルトで覆われたマットボードが付いた木製の長方形のフレームが吊り下げられています。繋がっていないフレームの後ろには空間ができていて、表現された思考が前方だけでなく後方にも広がっているかのような印象を与えます。フレームの中には、アルブレヒト・デューラーの「アダムとイブ」の絵が、通常のゼロックス用紙に切り離されてプリントアウトされ、アダムよりもイブの方が目立たないように、別々に陶器のフレームに取り付けられています。プリント用紙という考えうる中で最も安価で簡単な方法で印刷されていますが、その価値を損なうものではありません。 フレームの中央に保持され、外に突き出ているのは、神とその息子を表す、薄い陶製のレイヤーです。 この二つの部分はその突き出た長さが際立つ一方で、内側が空洞になっていることで、まるで裏側から空間がつながっているかのような印象を与えます。
フレームの前には空間があり、正面には祭壇テーブルが置かれています。 この原始的な祭壇テーブルは、ペンシルバニア州にあるドイツの木工品のスタイルを取り入れています。この祭壇テーブルの両側には、薄く積み重ねられた陶器のページと、そこから飛び出したような壊れた文字が散りばめられています。 祭壇の中央には開口部があり、内部を観察することができます。 「過去」を表す断片的なセラミック製の短冊は、フェルトの上に並べられています。まるで、それらを保管し、沈黙を保っているいるかのように。 祭壇の開口部は、二層になって下側のガラスを見せています。 床に落ちるピンが放つ儚い音のように、そこにあるのは「sinner」という文字。
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